『北九州自律神経整体 陽だまり堂』の川嵜春陽と申します。
この度は、数あるホームページの中から当院のホームページをご覧になって頂きまして、ありがとうございます。
当院では、「自律神経の不調で、どこへ行っても良くならず途方に暮れている人が、自然治癒によって回復し、根本的に解決する」ことをゴールとして、対応しております。
そのために、「整体施術」と「生活アドバイス」を提供しています。
さて、あなたにとって、「自分の大切な身体を任せる相手がどのような人物か」というのは、非常に気になることかと思います。
そこでこのページでは、院長である私「川嵜春陽」についての、簡単な概要と経歴を、ひとまずご紹介しています。
ちなみに私は、元サラリーマンです。
機械メーカーのシステムエンジニアでした。
そして、小学生の男の子と幼稚園児の女の子の二児の父です。
そんな私が何故、整体師へ転身したのか、その思いを書かせて頂きました。
また、自分自身が自律神経失調症を経験したことがきっかけとなり「自律神経専門院」を運営しております。
私が整体師へ転身した理由
充実していたサラリーマン時代
私は元々、整体業界とは全く関係の無い、機械メーカーのコンピュータ部門でシステムエンジニアとして約25年務めたサラリーマンでした。
私の入社当時は、多くの企業が基幹業務用にコンピューターを導入しはじめたころで情報化が叫ばれていた時代でした。これからの時代は情報だ!と意気揚々と入社したのを覚えています。
仕事は何しろ初めての経験ばかりで楽しかったのを覚えています。予算的にも余裕があった時代でしたので、色々なシステムに携われました。さらに人手が足りないこともあってか、まだやっと仕事を覚えた自分にも責任ある仕事を任してもらえました。
そして、自分のアイデアを形(システム)にしてゆく事がとても楽しく充実していました。
職場の同僚や先輩方との人間関係も良好で、仕事終わりの飲み会なども楽しくて仕方がない位でした。
でもただただ忙しかったです。入社当時は情報化が叫ばれてた頃というだけでなく、消費税の導入や元号変更なども重なり、若手の私はサービス残業を含めて月に50時間位の残業は定時のように普通に行っていました。
月に100時間を超える残業も珍しくありませんでした。しかし体は無理がきく年齢でもあり、また業務だけでなく様々な人との出会いに溢れ刺激的な日々を送っていました。
幸せの絶頂
その後私が結婚する少し前位から世の中が不景気になり、一気に残業が減りました。
しかしこれは私にとっては幸運でした。結婚し待望の子供が産まれる時期と重なったからです。妊娠時期の妻の家事を手伝う事ができたからです。
お腹の中の子供に本を読んであげたりできて、すごく幸せなゆったりとした時間を過ごせました。
その後も出産にも立ち会うこともできました。
出産後も週末はお弁当を持って公園へ出かけたりして、絵に描いたような思い描いていた結婚生活を送れて本当に幸せな日々でした。
疑問「失われた10年」
ただ日本全体の景気は回復する所か下がり続けました。
我が社でも初めてのリストラが行われ、良く面倒をみてくれた多くの先輩方が意思に反して退職して行きました。
予算は削られ、選択と集中を合言葉に生産性や効率化ばかりが優先され、新しいものへの挑戦や質を求める姿勢は暗に非難され削がれました。
良く言えば生産性の高い標準化された同じような機械的な仕事ばかりが増えてきました。それが顧客ファーストかと言えば決してそうではないと思ってはいました。
葛藤はありましたが、家族のためにもリストラされないように我慢するといった言い訳を自分自身にしながら耐えていました。
絶望「失われた20年」
グローバル化が叫ばれ、我が社にも「成果主義人事制度」や「目標管理制度」などが導入されました。
成果主義という名の元、目標利益率が賞与や給与、昇格(降格)にもからむため、サービス残業が増えました。同時に新しい技術の習得も仕事中に行うと稼働率が悪くなるため、必然的に自宅で行わなければならない状況になってきました。
この頃から完全にワークライフバランスは崩れた上にモチベーションを保つのも難しくなってきて、完全にお金を稼ぐための仕事となってきていました。
こどもの「パパあそぼう」にも「ごめんね、おしごとしなきゃいけないから」で断ることが多くなりました。
社内では足の引っ張り合いや手柄の奪い合いも発生するようになりました。
この頃から周りのSEが不眠、耳鳴り、うつ病などで休職したり退職して行く人が増えてきました。当時の私は知識不足のため、うつ病は心の弱い人がなる病気だと偏見を持っていました。
成果主義はお客様の会社でも当然のように取り入れられていて、成果を上げるために徐々に弱い立場の我々に無理難題を言ってくる人もでてきました。
顧客の無理難題を寝ないで頑張りどうにかこなすと、次はさらに高いレベルの無理難題となり完全に負のスパイラルへ。
わが子とも遊ぶ時間も欲しいのでさらに無理している自分に気が付けなくなっていきました。
SOS(身体からの異変を知らせるシグナル)
無理難題や暴言を吐く人と打ち合わせをする時のこと、いつの頃からかその人の目を見て話せなくなっていました。
次にその人と話をする時には世間話の段階から体中から異常な量の汗が噴き出てくるようになりました。これは一時的ではなく数年続きました。
本題に入ると汗の量がさらに増えます。もう打ち合わせの日は会議室に入ることすら辛く、そこで早退するような日が続いたりして苦痛でたまりませんでした。
その年の正月休みに実家で家族揃って食事していると今まで感じたことのないような猛烈な歯の痛みに襲われました。
痛み止めも効かず休診中なのに無理言ってかかりつけの歯医者の先生に見て頂きました。
驚いたことに原因は噛み合わせがおかしいくなっているとのことでした。恐らく寝ている時かまたは昼間でも無意識に歯を食いしばりすぎているのではないかということでした。
噛み合わせでこんなにも歯が痛くなるのかとにわかには信じられませんでした。クラックと呼ばれる食いしばりによる歯のひび割れも同時に治しましたが、噛み合わせがあうように歯を少し削ってもらうだけでその後はうそのように痛みが治まりました。
それからはマウスピースを就寝中につけるようにしました。当初は半信半疑でしたが、朝起きるとあの硬いマウスピースを噛み砕いていた現実を見て震えました。
(※実際に当時私が使っていた嚙み砕かれた箇所を補正したマウスピース)
しかし、私はこの異常な汗が出て会議室に入ることができない、歯やマウスピースを壊すほど食いしばっている、という体からの2つのSOSを、当時はきちんと受け取れる余裕すらなく、症状だけを対処療法で抑えてごまかしていました。
最愛の家族を犠牲にしていた日々
家に居ても出口の見えないような仕事や自学勉強という名の半強制の仕事ばかり毎日行う事で、ぴりぴりしていました。家の雰囲気は以前と違って当然暗くなっていきました。
そんな中、小学生になる長男が、宿題をしていないのに「した」とうそをついたりすることが何度か続きました。子供の頃に誰でも一度は通るであろうたわいないうそです。
今思うと成長過程の一つかもしれません。もしくは明るくない家庭環境に対する息子なりの警告が違う形で表れていただけなのかもしれません。
それなのに私は、今まで一度も手を上げたことのない、目の中に入れても痛くないと感じていたわが子にゲンコツを喰らわし、泣き叫ぶわが子の首根っこを捕まえて家の外に出していました。うそはいけない、躾だと。
今思うと子供の躾という名のもとに仕事上の不安やストレスのはけ口にしていたのではないかと後悔しています。
そんなぴりぴりした環境で過ごした数年後、最悪な事に息子も私と同じマウスピースをすることになりました。歯医者で歯が削れている事が判明したからです。
歯医者の先生から、「とても子供の歯とは思えないほど永久歯が削れています。歯並びは問題無いので恐らくストレスで食いしばりをしていると思われます。」と言われてショックを受けたことが忘れられません。
当初息子はまだあごなども成長途中という事で私のような硬いマウスピースではありませんでしたので、すぐにマウスピースを噛み切ってしまうことが続きました。
彼もストレスに歯を食いしばって耐えていたのでしょう。今思うと息子に申し訳ない気持ちが強く涙がでます。
当然私もこのあたりから何かおかしいとは思い始めました。しかしそれが自律神経失調症とは検討もつかず、自分自身の心の問題ではないかとイライラを鎮めようとアンガーマネージメントの本などを読み漁ったりしていました。しかし今思うとここでも検討違いな行動を繰り返していました。
こんな半病人状態の私を支えてくれていた妻もストレスからか少し早い更年期障害のような色々な症状が出始めました。
もともと出産後から強い生理痛はあったのですが、酷くなり腰が砕けるほど痛く仕事ができない状態でした。
また、優しかった妻も子供のうそなどにも私と一緒になって怒ることも増えました。のちにこの症状はPMS(月経前症候群)とわかりました。
私は自分一人を犠牲にして家族のために頑張っていると勘違いしていましたが、私の仕事上のストレスを家族みんなにぶつけて、自分のストレスを軽減し自分が病気で倒れるのをぎりぎりで防いでいたんだと思い知りました。
今思い返しても本当に辛い時期でした。家族みんなに本当に申し訳なかったと感じます。
「うつ病」そして休職
妻が私に病院へ行くように勧めました。
不眠の症状はもちろん自覚していましたが「自律神経失調症です。うつ状態です。仕事はドクターストップです。」と言われました。
当時はまさか冗談だと、不眠で来ただけだ、睡眠薬だけ出してよ、まだ仕事はできるよとも思っていました。
ただ、今思い返すと、仕事にも影響が出ていました。集中力が無く、会議などの話も頭に入って来ないこともありました。
多分妻は私の体を心配してくれてたのと同時に自分も含めて家族の体も心配してくれて辛い決断をしてくれたのだと思います。
仕事がドクターストップとなり、しばらく心療内科へ通いながら薬を飲みましたが一向に良くなりません。当初の私はストレスの原因だった仕事と距離をおく事によってすぐに良くなるだろうと思っていました。
しかし全く眠れない。例え眠りにつくことができても夜中に目覚めます。そしてそれ以降は眠れません。仕事、小さな子供、色々な事を考えるとこの先どうするかとわずかに寝た時の夢にまで出てきます。
当時はうつ状態などの病は何もしない事が薬だと思っていましたが、私にはそうではありませんでした。精神的に辛い仕事をしていても一時でも気はまぎれるし、どんなに辛くても定職があることでまだ少し目の前の将来位は見えている感じでした。
休職により職場での居場所を奪われ、小さな子供をどうしよう、大切な家庭が壊れるのではないか?など何もしない時の方が将来が不安でたまりませんでした。
また、一度外れた職場へ戻る怖さなど、悪い事を考える時間がたくさんあり過ぎました。そんな状態で不調が治るわけはありません。病院へ毎週行く度に薬の種類や量が増えていくばかりでした。
今だからわかったのですが、ストレスが自分を病気へ追いやったのではなく、自宅に帰ってからも続く無茶な長時間の仕事からの睡眠不足。
そして長時間のパソコン作業のため、指先から手首、そして腰、肩、首全て過度な緊張により大切な神経を圧迫し血流や体液なども流れが悪くなった事により自己免疫力が低下し自律神経が乱れてしまい病気になってしまったのだと。
そして自律神経が乱れたことによりストレスにも弱くなり休むべきだとか誰かに相談するべきだとか正常な判断もできなくなり、体を壊し、家族にも迷惑をかけました。
整体との出会い
不眠による不調が無い頃ですが、ずっと座りっぱなしの仕事柄もあり、10年以上も腰痛持ちでした。
腰痛が酷い時はとても仕事どころではなく座ることすらできませんでした。もちろん病院には何軒も行きました。
どこの病院へ行っても「骨に異常無し。運動不足。筋肉をつけなさい」と先生に言われるばかり。
レントゲンを撮って異常無し。CTやMRIを撮っても異常無し。
医者はそれではリウマチを調べましょうと言ってリウマチ検査まで行いました。
腰に良いと言われる体操やマットレスなどは、TVやネットで見て導入してみましたが、私には効果はありませんでした。諦めて定期的にマッサージへ行って急場をしのいでいました。
マッサージはその場しのぎのためであり、体のためは良くないと知ってはいました。しかしあまりの痛さのため仕事もできないので、一時的でも痛みが無くなれば仕事に戻れると諦めていました。
しかし、そのマッサージも徐々に行く間隔が短くなり、マッサージの強さも強くなり、最終的には「手ではもうほぐせません。木の棒でやりますね」と言われるありさま。
マッサージ師さんからもこのまま年とると将来歩けなくなりますよ!と脅されたこともありました。マッサージの時間も間隔も、もみほぐす力も増す一方で不安が募っていました。
腰痛について必死に調べていた時に、無痛整体が目にとまりました。
今まで、最大限の強さでもみほぐしてもらってたのに比べると、この聞きなれない名前の不思議な施術は、真逆でした。極ソフトでした。
最初は「これだけ!?」という感じで本当に大丈夫なのかなぁと正直思いました。
しかし、通って行くうちに不思議と体が軽く感じたのを覚えています。
この無痛整体に出会った頃は、うつ状態までは行っていなかったと思っています。
しかし、既に食いしばりや、打ち合わせ時の大量の汗などの症状はありました。
そのため、既に軽い自律神経失調症であったのかもしれません。
しかし残念ながら、仕事が忙しくなり通い続けることができませんでした。
それを休職した時に思い出し、色々と自律神経に関することや、無痛整体をネットで調べまくりました。
そして今の師匠の自律神経専門の無痛自然療法にたどり着きました。
その整体で、不眠やうつ状態が改善して行くうちに、不思議とあれほど長い間苦しんでいた腰痛までも、無くなっていた事にも気がつきました。
今後の夢
家族に迷惑をかけないように、自分を正常な状態に戻すこと。
そしてまたこれからいつ襲ってくるかもしれないストレスや病気に強くなるように、自己の免疫力を高め維持する必要があると感じました。
同時に自分が原因で不調をきたしていると思われる、息子と妻の心と体を正常な状態に戻す必要があるとも強く感じました。
それができたら次に、同じ悩みをかかえている人の力になれるのではないかと仕事を辞め、この整体を習い始めました。
家族は不思議と習いたてで不慣れな施術でも気持ちが通じたのか、1ケ月後位から体調が回復し始め2ケ月目には信じられない位体調が戻ってきてくれました。
出産してから10年近く毎月酷い生理痛に苦しんでいた妻は、1ケ月で生理痛が無くなり、2ケ月目からは精神的なイライラや辛さが軽くなりました。
おまけに仕事が忙しい時の体の疲れ方が全然違ってきたとの事です。
職場でも同僚から、「疲れたとか、腰が痛いとか言わなくなったね」と言われるようになったそうです。
そして息子。彼自身は快便になったとのことです。
就寝中の食いしばりは、私たち親が見る限りは無くなってきました。
この整体を通じて家族に優しく手当をするという、親子の触れ合いの時間を取れたことも、良かったことのひとつです。
息子も体が軽くて寝つきが良くなるので、自分から「今日はしてくれないの?」って寝る前に聞いてくるようになりました。
この無痛整体を習ってよかったと心から思える時のひとつです。
二人目の小さな子などは、一晩寝たら回復どころかパワーアップする位なのに、「わたしもせいたいして~」と言ってきます。
「あなたは全く必要ないやろっ!」て思っていましたが、それは私の間違いでした。
小さな子供の社会でも小さいなりにストレスは感じているのでしょう。
施術を施すと、小さな身体でも頑張っているんだなぁと感じられます。
最近は小学校に行きたくても行けない起立性障害の子も増えてきているというのもわかる気がしました。
人間は口や耳だけでなくお互いの体と体が触れることによって皮膚を通して会話もできると実感している毎日です。
私は、たまたま医療従事者である身内の助けを得る事ができ、後に知ることになった心療内科にありがちだと聞く薬漬けになってしまう所を、ぎりぎりで回避できたのだと思います。
その間に最高の整体法と、素晴らしい師匠に出会うことができました。
家族や師匠への感謝の気持ちを忘れずに、これからは私たち家族と同じように不調で苦しんでいる方の心と体を、正常に戻すお手伝いができたらと考えています。
自律神経失調症や不眠、耳鳴り、パニック障害、生理痛、更年期、イライラなどのお悩みを、薬などでごまかしながら頑張っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃると思います。
自分で言うのも変ですが、これらの症状は無理して頑張っている人に現れることが多いと思います。
無理な頑張りは、私のように家族のためだと言いながら、反対にその大切な家族を傷つけ壊してしまう可能性すらあります。
自律神経が乱れるのには必ず原因があります。
それは決して心が弱いからなどではありません。
ストレスのせいで自律神経の働きが悪くなるのではなく、自律神経の働きが悪くなっているのでストレスに耐えられない状態になっています。
自律神経の働きが悪くなってしまった原因を正しくみつけ、根本から解決し、不調で悩まれている方の健康な体を取り戻すお手伝いができたら幸せです。